東壽院の所在する但沼町には、『日本書紀』編纂者といわれる
舎人親王が薨去(逝去)したという伝説が言い伝えられています。
そして毎年10月第2土曜日に「舎人親王祭典」がおこなわれ、
朝一番、舎人親王の位牌が安置されている東壽院での奉納囃子を皮切りに、
式典、お神輿、お囃子、演芸大会など、
この日の但沼町は一日中お祭り一色になります
しかし舎人親王が実際に旅に出たことはなかったそうで、
何故そのような伝説が存在するのか、
何故祭典がおこなわれるようになったのか、
そのような疑問を私自身を含めて多くの方が持っていました。
10月7日、静岡大学の小二田誠二先生による
舎人親王祭典についての講演会が東壽院でおこなわれました。
今から200年ほど前、但沼町に堀池秀次郎という人がおり、
舎人親王の祠を建ててお祀りされましたが、
当時は皇族を祀ることは御法度だったために弾圧に遭います。
祠は解体、そして秀次郎さんは追放されてしまいます。
ところが明治時代に入って天皇を中心とする国家作りが進められていく中で、
舎人親王伝説と親王を祀った事実が掘り起こされ、
大正時代からは舎人親王を祀る祭典がおこなわれるようになりました。
明治から大正にかけて祭典がおこなわれるようになった経緯について、
小二田先生から詳しくご説明いただきました。
講演後の質疑応答の際にはさまざまな質問・意見が飛び出し、
後日、新たな資料をご持参いただいた方もいらっしゃり、
これを機に、舎人親王祭典や地元文化への理解が深まっていくことを願います。
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